普通、プロテスタントの教会では旧約聖書続編を読まないそうですが、 私は、内容がよければ何を読んでもよいと思いますので、 続編の知恵の書の好きな部分を拝読させていただきます。
素直な心で学んだことを、惜しみなく伝えよう。 わたしは知恵の富を隠すことはしない。 知恵は人間にとって無尽蔵の宝、 それを手に入れる人は神の友とされ、 知恵のもたらす教訓によって高められる。 (旧約聖書続編「知恵の書」7:13-14)
初めて主日祈り会を受け持ちましたので、原稿を用意してきました。 最近私が考えていることと、私が宇宙にこだわる理由等をお話しします。
私は、昨年のクリスマスに洗礼を受けました。 その後、あらためて、信仰とは何か、宗教とはなにかと考えています。 しかし、当然ですが、簡単な答えはありません。 そこで、立花隆氏の「宇宙からの帰還」のむすびの文章を思い出しました。 立花隆氏は、次のように書いています。
本書はここで終わる。はじめは、ここまでに紹介した宇宙飛行士たちの さまざまな考えを筆者なりにあれこれ分析し、総括して、 結論めいたものを付け加えようかとも思っていた。
しかし、ここまでのところを何度か読み返しているうちに、 そんなことはしないようがよいと思うにいたった。 ここで語られていることは、いずれも安易な総括を許さない、 人間存在の本質、 この世界の存在の本質(の認識)にかかわる問題である。
私にとって、「私の信仰告白」という小論文を書き、洗礼を受けるという体験は、 宇宙体験と比べればとるに足らないことかもしれませんが、 私にとっては簡単に総括できない大きな一歩でした。 そして、「宇宙からの帰還」を総括できなかった、立花隆氏の心境を理解できました。
また、「創世記」を文字通り信じる人や、 逆にキリスト教徒とは進化論を信じない人であると誤解している人にとっては、 まったくの逆説になりますが、 私は、天文学や生物学の本を読む時、また、望遠鏡や顕微鏡を覗く時に、 神の存在を身近に感じます。 この理由は自分にも解りませんが、宇宙飛行士のエド・ギブスン氏の インタビューで示される考えに近いのではないかと思っています。
また、宇宙飛行士のエド・ミッチェル氏は、立花隆氏のインタビューに対し、 宇宙での神秘体験について、次のように答えています。
-- 宇宙体験なるが故という要素は別にないのか。
「こういうことはいえる。神秘的宗教体験に特徴的なのは、 そこにいつも宇宙感覚(cosmic sence)があるということだ。 だから宇宙はその体験を持つためには最良の場所なのだ。 歴史上の偉大な精神的先覚者たちは、 この地上にいてコスミック・センスを持つことができた。 これは凡人にはなかなかできることではない。」
また、朝日新聞の「東洋で聖書を考える」という新春対談[12]で、 鈴木治雄氏が次のように述べています。
それと、どうしてもいいたいのは、最近の夜の空のことです。 星が見えなくなった。 宗教や精神性のことを考えると、これは非常に大きなことと思う。 星空には宇宙を感じる。神を感じる。それがほとんどできなくなった。 地方でも見えない。夜は一番大事な時間であり、 空を見つめる意味は大きいと思うのです。
このように、宇宙と宗教には、深い関係があるようです。 なぜかは解りませんが、素晴らしい宇宙があり、すばらしい生物があり、そして、 不完全ながらもすばらしい人間がいます。それを、神に感謝します。