ヨハネによる福音書 第1章第1節から第5節
コリント信徒への第2の手紙 第3章
今日は、私の考えがまとまっていないので、祈るというよりも、 問題提起をしたいと思います。
現在の日本の政治には、政党離れという現象が起きています。 また、「宗教を信じる若者が増えることは問題である。」という世論がある一方で、 伝統的なキリスト教や仏教は伸び悩んでいます。 私は、この2種類の問題に、共通点があると思います。
私は、キリスト教の伝統的な教義には懐疑的です。 それでも私はキリスト教を信仰します。 それは、私がキリスト教を信仰する理由が、イエス様が処女受胎で産まれたからでも、 イエス様が奇跡を起こしたからでもなく、 聖書の言葉に無限の知恵と愛を感じるからです。 したがって、例えば、奇跡を全面的に否定するシーリング説を読んでも、 私の信仰はまったくゆらぎませんし、 私にとって自然科学と宗教は矛盾しません。
また、偽予言者に対抗するためには、奇跡ではなく言葉を出発点として、 キリスト教を信仰し、伝統的な宗教をリバイバルさせるべきだと思います。
ただし、言葉を出発点とするといっても、聖書に書かれた文字を絶対視すれば、 ファンダメンタリズムにおちいります。 そこで、「文字は殺しますが、霊は生かします。」という言葉が、現代社会において、 ファンダメンタリズム批判の意味を持つと思います。
では、「霊に仕える」とはどういうことなのか、 私達は具体的に何を信仰するべきなのか、 それが現在私が考えている課題です。