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: Kさんのこと(2004年) : 追記 : 追記

それだけだはない何か(1998年)

私が持っている最大の哲学的な疑問は、 なぜ、人間はパンのみで生きるのではないのか、 なぜ、哲学、宗教、芸術が存在するのか、 人間の精神は脳の物理的な働きだけによるのか、 それとも、それだけでない何かがあるのか、ということです。

私が最も尊敬する人物はイエス様です。 そのような私の思想に対して、 「それでは、あなたにとって、ソクラテスとイエスはどう違うのですか。」 というもっともなご批判があります。 イエス様には、ただの人間の哲学者にはない、何かを感じます。 また、聖書には、ただの哲学、倫理、歴史、文学の本にはない、 何かを感じます。その何かについて、言葉では説明できません。 もし、言葉で説明できるようになれば、私は牧師になろうと思います。

生物学者の利根川進氏[10]や養老孟司氏は、 生物学の進歩、特に脳の研究によって、人間の精神を解明できるだろうと、 楽観的、唯物論的に予想しています。 また、立花隆氏[16,17,18]は、 TV番組「NHK人間大学 知の現在」の中で、 脳について解ったようなことを書いている本は嘘で、 真、善、美のような人間の脳の高度な機能は、 21世紀後半の研究対象になるだろうと予想しています。

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、進化論には根拠があるが、 人間の精神は神に与えられたものであると主張しています。 天文学者のカール・セーガン氏[19,20]は、 人間の精神を進化論で解釈しようとしています。 惜しくも、カール・セーガン氏は、結論を書く前に亡くなりましたが、 妻で共同執筆者のアン・ドルーヤン氏が続きを書くことを期待します。

それだけなのか、それだけではない何かがあるのか。 このような問題意識を持っていると、 生物学、哲学、宗教の勉強が楽しくなります。



naota 平成20年2月12日