next up previous
: 不良牧師(2005年) : 追記 : それだけだはない何か(1998年)

Kさんのこと(2004年)

この文章は、Kさんと私の間に起きた事件と、その後の私についての告白です。

韓国人牧師のSさんが、日本に帰化した韓国人のご子息に取材して、 その方の信仰、思想を、雑誌「福音と世界」に掲載しました。 その記事を読んで、当時王子北教会にいた在日韓国人のKさんが、 在日韓国人差別であると、S牧師に抗議しました。 S牧師は、他の在日韓国人の何人かの方に、問題の記事を読んでもらいましたが、 その記事が在日韓国人差別だと感じた人はいませんでした。

その事件の直後に、Kさんと私は電話で話しました。 Kさんの主張を聞いたあとで、私は、 「KさんとS牧師が討論して、議事録を「福音と世界」に投稿すればいい」 と言いました。すると、Kさんは私に、 「君は良きサマリア人ではない」と語り、議論は決裂してしまいました。

私にとっては、意見の違いがあれば討論するということが、 信仰以前の倫理だと思っていたのですが、 それが否定されてショックでした。

Kさんは、王子北教会の他の会員や吉松牧師とも議論が合わずに、 王子北教会を去りました。長野に転居して、地元の教会に通っていたそうです。 私も、王子北教会の人々も、いつかKさんと和解したいと思っていましたが、 Kさんが交通事故で急逝し、この世での和解は不可能になりました。

さて、その後の私の問題です。

この事件が起こる前には、私は、困っている人、特に怪我人を見ると、 考える前に手を差し出して、助けようとしていました。 しかし、この事件以来、困っている人を見ても、 その人の国籍と宗派はなんだろうとか、余計なことを考えるようになりました。 ある時、勤務先の学校で病人を応急手当し、助かりましたが、 良きサマリア人ではない私が人を助けてよかったのかと悩みだし、 うつ状態になってしまいました。 「君はよきサマリア人ではない」の言葉が心に刺さっていて、 人助けにも、キリスト教にも、ためらいをもってしまいます。 一時は、救急救命員の資格を取って、キリスト教と決別しようかと思いました。 それ以来、王子北教会からも、遠ざかっています。 王子北教会のS牧師は、私の帰還を待っていてくださいます。

今は、Kさんの墓参りをしようかどうか、迷っています。 亡くなった方との和解は可能でしょうか。



naota 平成20年2月12日