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: ソフィーの世界 : 付録:祈祷会より : 初めに言葉があった

バベルの塔

(1995年11月26日の祈祷会の原稿を編集)

私は、「言葉」にこだわり続けているので、 今日も、言葉について考え、祈ろうと思います。 最初に聖書を拝読いたします。

まず、旧約聖書「創世記」11章1節から9節までの「バベルの塔」の部分です。

次に、新約聖書「使徒言行録」2章1節から13節までの「ペンテコステ」の部分です。

バベルの塔の伝説では、神が人間の言葉を混乱させて、人間を分裂させました。 しかし、ペンテコステでは、ガリラヤの人々が異国の言葉を話すと言う、 人間が言葉の壁を越える事件が起きました。 ここを読んで、私は、信仰と愛があれば、 人間が言葉の壁を越えられるのではないかと思いました。

少し長くなりますが、「私の信仰告白」から、 「バベルの塔」についての私の考えをお話しします。

(省略)

お祈りさせていただきます。

かつて、神様は、人間の傲慢な行動をやめさせるために、 人間の言葉を混乱させたと伝えられています。 しかし、また、ペンテコステの事件を通して、 信仰によって人間が言葉の壁を越える可能性をもお示しくださいました。

現在、私たち人間は、言葉の壁と国境を越えられずに争い続けています。 特に、旧ユーゴスラビアでは、セルビア語を話す人々と、 クロアチア語を話す人々が、東京弁と大阪弁の違いくらいしかないと言われている 言葉の壁によって、分裂し、争っています。 また、湾岸戦争の時、積極的に戦争をしようとする勢力は、 国境を越えて多国籍軍を作りましたが、 戦争に反対する勢力は、自国の政府に対して反対することしかできませんでした。 これは、湾岸戦争の反省と教訓の重要なひとつだと思います。 しかし、フランスの核実験に抗議する声が世界に広がっているように、 言葉の壁と国境を越えて平和を実現しようという努力も続いています。

私は、言葉の壁と国境は、人間が進化するために越えなければならない、 神様が与えられた試練だと思っています。 そして、私が、自分の仕事を通して言葉の壁を越えようとすることは、 私が神様から与えられた天命だと確信しています。 言葉の壁を越えようという努力が、平和と人類の進化につながるように、 私たちをお導きください。 また、技術者が、戦争のためでなく全人類のために働き、 平和の名のものとに第2のバベルの塔を作れるように、私たちをお導きください。



naota 平成20年2月12日