私が最も大きな影響を受けた本は、立花隆氏の「宇宙からの帰還」 [2]です。初めは宇宙に対する技術的な興味で同書を読んだのですが、 何度も読み返すうちに、精神的な感銘を受けました。
以前の私は、聖書の何が歴史的事実で、何が作り話かということを気にしていました。 例えば、聖母マリアの処女受胎の伝説の起源は、 聖書のヘブライ語からギリシア語への誤訳であるというような議論を、 注目していました。
しかし、私は『悔い改め』ました。 同書の339ページで、元宇宙飛行士のミッチェル氏が、次のように語っています。
-- すると、あらゆる宗教の神は、本質的には、同じということか。
「そいういうことになる。(引用一部省略)」
-- その質的同一性の本質はどこにあるのか。
「人間的エゴから離脱すると、この世界が全くちがって見えてくる、 ということだろう。エゴの目からは見えない知覚の向こうにある スピリチュアルな世界が見えてくる。 自分がこれまで真理だと思っていたことが、 より大きな真理の一部でしかないことがわかってくる。 この意識の変革、視点の転換が、すべてのカギであることを、 あらゆる宗教が語っている。 イエスが『悔い改めて神の国に入れ』『生まれ変われ』というとき、 意味していることはそれなのだ。 ギリシア語で『悔い改め』は『メタノイア』という。 それに、何か悪いことをしてもそれを反省すれば天国に行ける という意味ではなく、世界を全くちがった視点から見れば 神的世界がすでにここにあるということなのだ。 ヒンズー教の伝統でソマティというのも、仏教のニルヴァーナも、 あるいは神秘思想でいう照明体験もすべて同じことなのだ。」
私は、「これだ!」と思いました。 聖書は、神の言葉を人間が書いて人間が翻訳したものですから、 当然、誤りを含んでいます。 それを、例えば日本国憲法第9条第2項の「前項の目的」論争のように、 法律学的に解釈、議論すべきではなく、 言葉の裏側に隠された教えを探すべきだと思いました。